![](https://i0.wp.com/win-dragonsbball.com/wp-content/uploads/2021/05/代打-1.jpg?fit=427%2C572&ssl=1)
ヤクルトは強かった
わたくし二十歳ころのセ・リーグ勢力図は、ヤクルトスワローズ
が、野村監督のIT野球と、楽しく野球する選手たちがいて、
バランスが取れた強いチームで頭ひとつででいました。
今思うとこのころヤクルトを最後に、パ・リーグが有利に
日本シリーズを戦う感じになったと思います。
そのヤクルトと、松井秀喜さんの讀賣、今中さんと山本昌さん
のダブル左エースのドラゴンズこの3つ巴構図でした。
このころわたくしが好きな瞬間がありました。
それは代打川又さんの登場の時です。
川又さんの出場機会は、毎回試合を決定づける場面、言わばハイライト
とも言える場面、胸のドキドキしながら観ていた時に、
駆け引きだったり、集中力だったり、わたくしが感じる野球観戦での、
正念場だと感じられるようになったのは、川又先生のおかげです。
![](https://i0.wp.com/win-dragonsbball.com/wp-content/uploads/2021/05/代打-1.jpg?resize=224%2C300&ssl=1)
ウィーン君 秋田で独身生活
話は変わり、十代の終わりバブル崩壊を受けて、退社することに
まりました。でも研修期間中に勉強した内容が発揮する
機会がないまま退社したので、せっかく楽しく学んだ研修内容を
実践で試したいと思うようになりました。
なので同じ職種から会社を選び、東京にある会社に
再就職することが出来ました。早速引っ越しをして、大都会
東京へ行きました。入社した会社が町工場だったのもあり、
指導者が東京には居ないので、東京を離れることになりました。
転勤先が、落合博満さんの出身地で有名な秋田県までは特に悪くないけど、
秋田県と言っても繁華街ではなく、なまはげ発祥の地、男鹿半島にある
男鹿市にある転勤場所だった。OMG
多分、旅行で一時安らぐにはとっても楽しい観光地だと思います。
歩いて20分くらいのところにコンビニがありました。
それも夜8時までとか営業しておらずもはやコンビニの名前を使った
普通のお店、それとテレビのチャンネルが少ないとか
不便さがある土地でした。
![](https://i0.wp.com/win-dragonsbball.com/wp-content/uploads/2021/05/男鹿半島-1.jpg?resize=300%2C200&ssl=1)
男鹿の人たち助けられて🤣🤣🤣
でも、転勤先の会社の先輩とか、接する人たちがとてもいい人ばっかり
で楽しい日々を過ごすことが出来ました。
夜になるとやれることが無く、でも二十歳そこそこのわたくしは、
元気が有り余り 接客する飲み屋に通うようになり、
押しの女の子も出来、不健康だとは分かっていましたが、
とことん遊び続けました。
当時は、働き方改革とは真逆の仕事で、ノルマが終わるまで、
帰れない、ほとんどが仕事の時間で、たまに(週に何回か)
飲みに行く生活を繰り返してました。
なので、イチロー選手が活躍しているのを、知ったのはかなり遅れて
知りました。
そんな生活環境の中、男鹿に住むのに欠かせないものがその時もっていませんでした。
それは自家用車です。
田舎暮らしをしたことのある人は分かると思います。
決定的に行動範囲が狭い(徒歩圏内)
でもその屈強も男鹿市民の人たちに助けられて、
遊んでもらい、お酒を飲みに行き助かりました。
![](https://i0.wp.com/win-dragonsbball.com/wp-content/uploads/2021/05/わきあいあい.jpg?resize=300%2C225&ssl=1)
🐲竜の気配🐲
ある時小学校の隣を走っていたら、
知っている生き物だが、見たことはない。でも知っている。
心がザワザワする。
その生き物は竜でした。
木造のオブジェですが、
大きさ、存在感、を見て
何故私こんなに心がザワつくの!
そんな自問自答を繰り返していると、あ~そっか そうだよね
と納得する答えが出ました。
![](https://i0.wp.com/win-dragonsbball.com/wp-content/uploads/2021/05/dragon-2407946_1280.jpg?resize=300%2C225&ssl=1)
そうだ わたくしはドラゴンズファンだからだよ で納得でした。
このエピソードで、間違ってドラゴンズファンに
なったのではなくもっと、も~っと大きな処からドラゴンズファンに
なるべくしてなったことを深く感じた出来事でした。
世の中では、のりぴーこと酒井法子さん主演の星の金貨
が、流行っている時に、事件は起きました。
その頃になると、知り合いを伝手に自家用車を購入していたので、
そんなに不便だとは感じなくなっていました。
むしろ秋田弁も話せるくらい溶け込んでいて秋田がいや
男鹿がとっても好きになっていました。
突然😢
そんな時、管理職でもないわたくしのお給金が振り込まれない
と言う大事件が起きました。いろいろ考えた結果、
![](https://i0.wp.com/win-dragonsbball.com/wp-content/uploads/2021/05/ひねくれる.jpg?resize=236%2C300&ssl=1)
地元に戻ることに考えがまとまり、男鹿を離れることにしました。
22歳夏の事です。