プロフィール第1回 ウィーン君 十代でドラゴンズファンになる

わたくしがドラゴンズファンになった生い立ちに

ついてお話します。

小学生時代にはガンダム、ファミコン、サッカー

(キャプテン翼に影響受けて)やっていたので、

プロ野球には全く興味がなく、たまに暇だから高校野球

を見る感じでした。

小学校高学年ころ、バース、掛布、岡田でセリーグを制し

その勢いで阪神タイガースが日本一なり、メディアでは

道頓堀ダイブしている映像を見ている内にプロ野球に

興味を持ち始めました。(とっても危険そうだが、一生懸命応援している姿)

何故かライオンズファン?

じゃあ 推しのプロ野球チームでも作るかと、当時コミックボンボンで

連載していたプラモ狂四郎 主人公のプロフィールで

西武ライオンズ推していた。

(幼少期にアニメ田淵君 見たなぁ確かジャングル大帝だったような)

じゃぁまずはそこから始めることに決めました。

そんな安易な考えで、ライオンズファンになり、ファン二年目には

広島カープと戦い、三連敗の後の4連勝で日本一になり、

有頂天になっていました?次の年になると工藤公康さんが、

開幕何連勝かしていたが、ファンだけど本気で喜べない事に気が付き始めました

はじめまして中日ドラゴンズ

わたくしは、朝の愉しみがありました。

ズームイン朝のプロ野球コーナー プロ野球いれコミ情報

が好きで、通学する直前まで、テレビに釘付けに

なっていました。そこで中京テレビの方がドラゴンズ

の事を楽しく冗談を入れながら話をしていているのを

見ているうちに意識するようになっていました

それと基本アンチ(讀賣)だったので、倒せるチームを探していました。

そんな時に星野仙一さんが監督一年目で、戦い方も派手で、

闘争心をだし、讀賣戦では更にギヤを上げて戦う姿が好きになりました。

ユニフォームもカッコよかったので、気が付くと

ドラゴンズファンになっていました。それと周りにも

ファン宣言をしました。

部活帰りには、プロ野球チップスを集めて、竜戦士が出ると

とても嬉しかったのを今でも覚えています。

ファン二年目の時、リーグ優勝を味わいました。

(昭和最後のセ・リーグ王者)

小野さん、小松さん、郭さん、山本昌さんいいピッチャーが、

沢山いましたが、小松さんが特に好きでした

左バッターのインコースストレート148km ズバッと

気持ち良かったなぁ~

日本シリーズでは、1勝4敗で完敗でした。

だが、わたくしには”この野郎”と闘争心が

沸きあがりいつかリベンジしたい

心に刻みこんだので、真のドラゴンズファン

なれたと思っています。

高校生になると、その時テレビでやっていた推しの

チームが優勝出来なかったら、坊主になるという

約束を担任の先生として、あいにく高校最高の

思い出になる修学旅行は、何故か坊主という

悔しさを味わいました。

🤗🤗🤗🤗🤗

わたくしは、住まいは中部地方ではなく、東北地方なので、

野球中継は対讀賣のみ、しかも7時からの放送開始だったので、

4回、5回くらいまで試合が進み、えー負けてんじゃんとなること

も何度か味わいました。

球場観戦は、高校生の時に東京ドームで讀賣戦でした。

先発は、西本さんと桑田さんでしたが、6対2で負けました。

次には、十代最後は、神宮球場で今中さんで勝ちました。

最後に高校を卒業して、就職先を探すのに名古屋に就職

したいと考えました。言わずと知れたドラゴンズの聖地

に行きたいただそれだけでした。

馬主でも有名な社長さんの会社に入社することが出来ました。

入社式は、東京のディスコで入社式を行い、

楽しく名古屋を過ごしました。

その年には、バルセロナオリンピックが開催されましたが、

熱帯夜を寮で住んでいる同級生と共に寝られずゴロゴロ

していました。

その年のドラゴンズは最下位 ファンになってお初でした。

しかもそんなわたくしに世間から攻撃を受けました。

わたくしだけではありませんが、バブル崩壊です

研修中だったわたくしは、神奈川県川崎市にある

トラック工場に派遣出向するはめになり、

憧れの名古屋を後にしました

こんな十代のドラゴンズファンの一時を過ごし舞いした


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