~エースという称号の正体~
エースなんかいらない。
最近、そんなことを考えるようになった。
もちろん強がりだ。
本当は誰よりもエースを求めている。
ただ、シーズンを見ていて思うことがある。
チームのエース。
次期エース。
左のエース。
球界のエース候補。
気が付けば、ドラゴンズにはたくさんの「エース」が存在している。
だが、その称号は本当に実力だけで与えられているのだろうか。
私はそうは思わない。
エースという言葉には、実績だけではなく期待も含まれている。
将来このチームを背負ってほしい。
苦しい時に助けてほしい。
優勝へ導いてほしい。
そんな願いも込めて、私たちは選手をエースと呼ぶ。
だからこそ期待が先行することもある。
例えば高橋宏斗。
プロ入り後、その才能は誰の目にも明らかだった。
侍ジャパンにも選ばれ、世界の強打者から三振を奪った。
ファンは思った。
「日本の次期エースだ」
と。
私もその一人だった。
だが、冷静に考えれば当たり前の話だ。
若い投手は成長する。
成功もする。
失敗もする。
壁にもぶつかる。
本来ならばチャレンジャーとして経験を積む時期なのだ。
しかしエース候補と呼ばれた瞬間から、その壁すら許されなくなる。
期待とは時に重い。
だから私は思う。
エースとは実績だけではない。
期待と信頼の両方を背負う存在なのだと。
そして今のドラゴンズ投手陣を見れば、エースになる可能性を持つ選手は数多くいる。
才能もある。
球威もある。
変化球もある。
だがエースとは球の速さだけではない。
本当に求められるのは、勝負どころで主導権を渡さないこと。
逃げてもいい。
慎重になってもいい。
だが相手を支配してほしい。
打ち損じを誘い。
凡打を打たせ。
苦しい日でも試合を壊さない。
そんな投手を私は見たい。
私が理想とするエース像は、かつてのドラゴンズにもいた。
川上憲伸。
小松辰雄。
吉見一起。
そして小笠原慎之介。
タイプは違う。
時代も違う。
だが共通しているのは、
「この人なら何とかしてくれる」
という安心感だった。
もちろん完璧な投手など存在しない。
打たれる日もある。
崩れる日もある。
それでもチームの最後の砦として立ち続ける。
それがエースなのだと思う。
だから今日、私はあえて言いたい。
エースなんかいらない。
エースなんかいらない。
エースなんかいらない。
・・・
しばらく沈黙が流れた。
すると隣でGPが静かに口を開いた。
GP
「本当にそう思っていますか?」
私は答えなかった。
GP
「私はそうは思いません。」
「エースは簡単には生まれません。」
「だからこそ価値があるんです。」
「今苦しんでいる投手もいます。」
「壁にぶつかっている投手もいます。」
「でも私は信じています。」
「近いうちに――」
「ドラゴンズのマウンドに。」
「本物のエースが君臨すると。」
私は何も言わなかった。
ただ心のどこかで、
その日を誰よりも待っている自分がいた。
第1回 エースなんかいらない 完
つづく 🐉🔥




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