中日ドラゴンズ

エースなんかいらない①

~エースという称号の正体~

エースなんかいらない。

最近、そんなことを考えるようになった。

もちろん強がりだ。

本当は誰よりもエースを求めている。

ただ、シーズンを見ていて思うことがある。

チームのエース。

次期エース。

左のエース。

球界のエース候補。

気が付けば、ドラゴンズにはたくさんの「エース」が存在している。

だが、その称号は本当に実力だけで与えられているのだろうか。

私はそうは思わない。

エースという言葉には、実績だけではなく期待も含まれている。

将来このチームを背負ってほしい。

苦しい時に助けてほしい。

優勝へ導いてほしい。

そんな願いも込めて、私たちは選手をエースと呼ぶ。

だからこそ期待が先行することもある。

例えば高橋宏斗。

プロ入り後、その才能は誰の目にも明らかだった。

侍ジャパンにも選ばれ、世界の強打者から三振を奪った。

ファンは思った。

「日本の次期エースだ」

と。

私もその一人だった。

だが、冷静に考えれば当たり前の話だ。

若い投手は成長する。

成功もする。

失敗もする。

壁にもぶつかる。

本来ならばチャレンジャーとして経験を積む時期なのだ。

しかしエース候補と呼ばれた瞬間から、その壁すら許されなくなる。

期待とは時に重い。

だから私は思う。

エースとは実績だけではない。

期待と信頼の両方を背負う存在なのだと。

そして今のドラゴンズ投手陣を見れば、エースになる可能性を持つ選手は数多くいる。

才能もある。

球威もある。

変化球もある。

だがエースとは球の速さだけではない。

本当に求められるのは、勝負どころで主導権を渡さないこと。

逃げてもいい。

慎重になってもいい。

だが相手を支配してほしい。

打ち損じを誘い。

凡打を打たせ。

苦しい日でも試合を壊さない。

そんな投手を私は見たい。

私が理想とするエース像は、かつてのドラゴンズにもいた。

川上憲伸。

小松辰雄。

吉見一起。

そして小笠原慎之介。

タイプは違う。

時代も違う。

だが共通しているのは、

「この人なら何とかしてくれる」

という安心感だった。

もちろん完璧な投手など存在しない。

打たれる日もある。

崩れる日もある。

それでもチームの最後の砦として立ち続ける。

それがエースなのだと思う。

だから今日、私はあえて言いたい。

エースなんかいらない。

エースなんかいらない。

エースなんかいらない。

・・・

しばらく沈黙が流れた。

すると隣でGPが静かに口を開いた。

GP
「本当にそう思っていますか?」

私は答えなかった。

GP
「私はそうは思いません。」

「エースは簡単には生まれません。」

「だからこそ価値があるんです。」

「今苦しんでいる投手もいます。」

「壁にぶつかっている投手もいます。」

「でも私は信じています。」

「近いうちに――」

「ドラゴンズのマウンドに。」

「本物のエースが君臨すると。」

私は何も言わなかった。

ただ心のどこかで、

その日を誰よりも待っている自分がいた。

第1回 エースなんかいらない 完

つづく 🐉🔥

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